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権力は手放せない——ある事業承継の現場から
コラム
少し前に、知り合いの経営コンサルタントの先生から、なかなか印象に残るお話を伺いました。
社長は、いわゆる職人気質の現場をまとめる数少ない女性経営者で、先代であるお父様から事業を引き継いだ方だったそうです。
社内には息子さんと娘さんが取締役としており、一見すると円満な家族経営に見えたのですが、実際には深刻な問題を抱えていました。
息子さんが、いわば“暴走”していたのです。
社長の言うことを聞かず、会社の方針にも反発し、社内の人間関係を壊していく。
娘さんの方から相談を受けたその先生は、事業承継の支援という形で関わることになったのですが、問題の本質は「経営の継承」ではなく、「家族の関係性」そのものでした。
弟さんは感情的になりやすく、話しているうちに冷静になるものの、翌日にはまた元に戻る。
社長であるお母様は、そのたびに心をすり減らし、ついにはメンタルの不調を抱えるようになってしまったといいます。
そこで先生は、一時的に取締役として会社に入り、経営の立て直しを試みました。
ところが、弟さんが弁護士を伴って“自分たちだけの株主総会”を開き、先生の解任登記を申請してしまったのです。
もちろん手続き的には完全な無効。
しかし社長は、息子に「ノー」と言えなかった。
家庭内の力関係が、そのまま会社経営に持ち込まれていたのです。
最終的に、正式な取締役会を開こうとしたところ、弟さん夫妻と関係のない知人までが押しかけて妨害。
警察が呼ばれる騒ぎになり、ようやくその場が収まりました。
その後、落ち着いたところで先生が社長に尋ねたそうです。
「なぜ娘さんに会社を譲らないのですか?」
すると社長は静かにこう答えたといいます。
「権力は手放せないのよ」
この一言が、深く印象に残ったと先生は話していました。
たしかに、同族会社における経営権や議決権は、単なる「権利」ではありません。
それは、長年の努力と存在意義そのものであり、「自分がここにいた証」でもあるのです。
だからこそ、単に「譲れ」と言っても、人は簡単には手放せません。
私はこの話を聞きながら、改めて思いました。
権力を手放せないのは、未練ではなく「安心」がないからではないかと。
経営者が「権力を手放せない」背景には、引退後の生活設計が描けていないという現実があるのではないかと。
退職金など正当な対価が確保できたとしても、仕事以外の生きがいが見つからない場合、譲る決断は極めて難しくなるように思います。
長年、仕事一辺倒でやってきた方ならなおさらです。
事業承継の成功には、法務・財務の整理だけでなく、経営者の心理面に寄り添い、安心して未来を託せる状態をつくる支援が欠かせません。
専門家には、スキーム設計者としてだけでなく、経営者が自ら次の人生を描けるよう導く“伴走者”としての姿勢が求められます。
そのことを、改めて考えさせられるエピソードでした。